自分のこと ああ勘違い

ああ勘違い

いろいろ間違えて理解していることってありますね。
古いネタですけど”巨人の星”のOP「思い込んだら…」を「重いコンダラ」だと思っていたとか。。。

国語が苦手

私は国語が苦手です。
恥ずかしい話ですが、高校の時に唯一赤点をとったことがあるのが「現代国語」いわゆるゲンコクってやつです。
文章の読み取りが苦手だったということもあると思うのですが、大きく勘違いしていたこともあったんですよ。というか最近になって気がついたことなんですけどねw

国語の問題

現文ってそこに何が書いてあるかを明らかにするもんだったんですね。
私の理解は、その文章にどんな意味があるのかを明らかにするものが国語だと思ってたんですw

よく「文章中の”それ”は何を指し示しているか」なんて問いがありますよね。
”それ”=”現代を生きている私たち” だとするじゃないですか。
自分の理解の国語という科目は”現代を生きている私たち”が何を表しているのか?という学問だと思っていたのですよ。

なので、その”現代を生きている私たち”という言葉がメタファとして使われている本来の意味をいつも探してました。

おかげで大体とんちんかんな答えを出していたんでしょうね。

授業

中学校、女性の先生が担当だった頃、授業がとても楽しくて好きだったのを覚えているのですよ。あの頃の授業はそういうものだったような気がするんですよね〜記憶が定かではないのですが。
その先生は、結局評判が悪くて次の学年になる時には担当を外されてしまったのですが…なんだか俺は嫌いじゃなかったんだけどな〜。クラスの男子みんなが課題にチャレンジしなかったのに自分だけクリアして、自分だけクラスを出されて他のみんなが先生に怒られたなんてこともあったですな。逆に自分だけが外に出されてお仕置きされているようでしたがw

何れにせよ、文章の構成をアナライズするものが国語の授業であったということを知ったのが、恥ずかしながら最近のことなのです。

その後、音楽を中心に学んできたので、その理解をクリアにすることにならず…だって音楽ってそういうものですよね。歌にしたって言葉通りを表現するだけでは足らないですよね。言語化できない部分を音楽で表現するわけですから…。

講師業なんてものを始めて、改めて日本語というものを改めて勉強する中で、やっとのこと国語というものに気がついたのです。

日本語の表現

今の日本語は、文面通りの意味しか伝わらない言語になってきていますよね。
「つまらないものですが…」=>「つまらないものを出すんじゃない!」
直接的な意味を交わすだけの言語としては少々無理のある言語ですよね。
いつでも相手の事を考えながら意味合いを理解していかなければ伝わりにくい言語だったのに、その力が弱くなっているような気がしますね。

エヴァンゲリオンでも出てきますけど、人間の思考の元になるのはやはり言語でしょうから、機能が低下してきている日本語しか使えない我々は、コミュニケーションの能力が低下してきているのでしょうね。

 

5年前

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