敬語って難しい
「敬語って難しいですか?」とお聞きすると「はい、難しいです」と答えが返ってきます。
「何が難しいんですか?」とお尋ねすると「尊敬語とか謙譲語とかわからなくて…」とおっしゃる。
尊敬語は、先様に対して使うもの。
謙譲語は、自分、身内に対して使うもの。謙譲語の「謙」を訓読みで「へりくだる」と読む…謙ることができるのは私たちだけですものね。
ということで、そういう法則性をつかんでしまえばそれほど使い方は難しくないはず。
でも、難しいですよね。
バイト言葉
ファミリーレストランで「ご注文の商品は全ておそろいになりましたか?」なんて尋ねられたことはありませんか。
この敬語の使い方の間違いにお気づきになりますか?
「お〜になる」は尊敬語
よって、「おそろいになる」は、尊敬表現ですね
主語にあたるところが「商品は」ですから
手前どもの商品に対して、尊敬表現を使っているからおかしい…という話です。
普段、世の中に溢れている会話の中に、間違った敬語が氾濫しすぎている。
でも、その敬語がおかしな言葉として聞こえてこない…この現状が、おそらく難しいと思えてしまう原因ではないでしょうか。
敬語の「敬」は敬遠の「敬」
仲の良い友人に敬語を使うことはあまりないでしょうか。
それでも敬語を使うということは、相手を遠ざけるという意図的な意味になりますよね。
・・・いやお育ちの違いということもあるかもしれませんがw
私自身、話し方をお伝えするときに、実は敬語をあまりオススメしていません。
んま〜最低限の「丁寧語」は使うべきかとも思うのですが、要は「話し方」ですよ。
どんなに、正しい言葉づかいであっても、表現が伴わない言葉は意味を持ちませんね。
笑顔(笑声)でお詫びの言葉を伝えても、絶対的に相手の方は謝辞として受け止めませんね。
「どの言葉を選ぶのか」ではなく、「どう伝えるのか」が重要なんです。
生きた言葉で話す
適切な表現を伴わない言葉は、生きた言葉ではないですよね。
文章を綺麗に読み上げるだけでは、気持ちは伝わらないですよね。
一生懸命に話をすること、その気持ちが伝わって初めて相手の方はこちら側の感情を察してくださるようになるわけです。
以前、某テーマパークで働いていたときに、それはそれはながーいスピールやらスクリプトを覚えて話をするということをしていました。
恐らく、それをお聞きになったことがあるみなさんは、一本調子だな〜とは思わなかったはず。…最近はよく知りませんがw
ちょっと大げさすぎ?と思われた方も多かったのではないかと。
当時は、スタッフの一生懸命さが売りだったのです。
お客様の前で、若い人たちが一生懸命に言葉を伝えようとする。その姿勢にお客様が共感してくださる。
それがその空間の中で、共感性を感受して満足を提供する・・・そんなプロセスだったように思います…以前はそんな話をしてくださる上司の方がいらっしゃったのですよ。
兎にも角にも、生きた言葉を伝える努力は共感を呼び、相手にも満足を提供することができるようになるわけです。
で、敬語はどうするの?
相手の方が、何を求めるのかによって変わってくるのでなんとも言い難いのですが・・・。
たまにいらっしゃいますよね。完璧な敬語で一言一句間違わずに話なさいというお客様。
以前、エスカレーションを受けて「どんな話し方をしているのチェックして差し上げるわ」というお客様とどきどきしながら話をしたこともありましたが、そんなお客様でも一番大切なのは共感性でした(全てのお客様がそうだというわけではありませんよ)。丁寧な生きた言葉で話をすることができれば、相手の方にその一生懸命さやこちらの姿勢が反映されます。人間は感情の動物ですから。感情的な満足に勝るものはありません。
みんなが大好きメラビアンの法則・・・これは第一印象をどのチャンネルで感じ取るかという話なので、微妙にニュアンスは異なるのですが・・・。
生きた言葉…聴覚情報 38%
敬語…話の内容 7%